工場が生産を続けるに必要な3つの要素を習ったと記憶するが、3つ定かには思い出せないが「水、製品の輸送、働く人?」ではなかったか、?は自信がない。3大要素を学んだのは60数年も前のこと、科学は進歩し物づくりの世界は一変している。それでも要素のひとつ「水」は欠かせない。技術の進歩で企業の使用量は減少したが水利権は確保したままという。
市内には歴史ある工場がいくつもあり、古くは繊維と製紙、製油に石化など瀬戸内工業地帯の一角を占めている。それらの工場を含む多くの企業へ工業用水を供給する河川は錦川であり県境を流れる小瀬川である。また、河川から遠く離れた市内南部の通津工業団地へは、錦川の伏流水を取水し、愛宕橋袂のポンプ場から工業用水として延々と送られている。
大企業は単独の取水設備を錦川沿いに備え取水し、送水管で工場まで送っている。こちらも川面からの取水の様子は見えないから伏流水と思うが、その水量はどれほどだろうか。定年まで勤めた工場は、小瀬川の伏流水を取水しポンプで工場に送っていた。
錦川は市内北部、中国山脈の麓を源とし100㌔あまり流れて瀬戸内海に注ぐ。途中の農林はもとより河川漁業に寄与しながら流れ、人を始めとする生きものの命を預かって来た。古老に聞いた話では「錦川の水が枯れることがあれば日本の飲み水は無くなる」というくらい水量豊かな川という。そんなことを散歩の途中、子どものころ、傍で遊んていたある企業のポンプ場を穏やかな川面の向こうに見ながら思い出していた。川遊びしたころに比べ水量は減っている。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます