今年3度目の黙祷をした。今日は長崎原爆の日で平和祈念式典が開かれた。台風6号の接近で会場が変更されて縮小開催となった。長崎平和公園の「平和の像」は核のない平和を願いながら鐘の音をどのように聞いただろうか。
平和記念像を始めて見たのは1958年、高校3年の修学旅行で訪れたとき。宇高連絡紫雲丸事故の影響で就学旅行の行先が関東から九州一周に変更となり目にした。広島の思わず手を合わせ黙祷を誘う記念碑、長崎はそれとは異なる力強さとメッセージ性を感じた記憶がある。当時の写真を探したが見当たらなかった。
今日の平和宣言で長崎市長は「核抑止依存から脱却を」を強く訴えられた。広島平和宣言でも広島市長は同様な訴えで、核廃絶への希望を国に求められた。しかし、総理は核拡散防止条約での核抑止を貫くことを語られ、被爆者と多くの国民の願いである「世界の核廃絶への道のり」の遠さを今日も思い知らされた。
深海で生き伸びていた恐竜が、度重なる水爆実験で眠りから覚め、水爆エネルギーを充満させ巨大化、日本に上陸したのはゴジラ(東宝映画)。人は核エネルギーを人体に充満することはできず即死に至る。そしてその影響は何代もの身内に続き、環境はゴジラに破壊された街とは異なる光景になる。核がなければ使用することはない。
(今日の575) ケロイドをさらさぬ袖の長さ見た