ある新設の施設、1年と少し経つだろうか。隣の椅子に腰かけている人から床を指しながら「錯覚って面白ですのう」と話しかけられた。私と同年配くらいだが出会った記憶はない初対面の男性だ。何かと思えばこんな錯覚の話。
「椅子に座って床を見ていたら、平らな床が盛り上がって波打っているように見える。盛り上がった頂点は鋭い角度で折れている」。「平らだと思い見直すと波は消えるが、ジーット見ているとまた盛り上がって見える」、こん内容だった。話し終えたところで、もう一度「錯覚とはわかっているのに」と笑われる。
全く気付かないことだったが、言われてそう思って見ると、観察された話の通りにも見える。こんな床は歩けないだろうし、建てることはない、そう思いスマホで撮っておく。撮ったものをよく見ると、知らない人の波打つ床の話は嘘ではないように見える。
錯覚、通常会話では「勘違い、思い違い」と片付ける。一方、錯覚は「事実とは違うのに、本当にそうであると思い込むこと」ともいう。これは怖く恐ろしい結果を招くことになるだろう。フェイクニュースの不確かな情報が社会問題になっている。拡散手段の多様化でフェイクを本当だと思い込ませることが出来る。これを見抜く力を養わなければ大きな被害にあうかもしれない。こんなことを考えるのは錯覚ボケしているのだろうか。
(今日の575) 錯覚を笑えるうちはいいのだが