日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

清濁あわせのむ

2022年12月13日 | エッセイサロン
2022年12月13日 中国新聞セレクト「ひといき」掲載

 定年退職してから22回目の冬を迎えた。年賀状は、交換する枚数も少なくなったが、この正月に頂いたものを再整理して、来る年へ準備を進めた。すると「今年で終わりに・・・」と書かれた年賀状の中に、ある人からの1枚を見つけた。
 話は、四十数年前にさかのぼる。働き盛りの私は製造部門から人事課へ畑違いの異動をした。戸惑いを隠せないまま、課長から仕事の説明を受けた。
 その後、職場の向かいの席の大先輩から心積もりを教えられた。「これから担当する業務は時に、清濁あわせのむことも必要になるよ」
 私は何とも想像し難かった。「心を広くして善も悪も受け入れよ」と、謎かけをされたようだった。ただ、人事未経験の私がすぐ難問に直面することはなかろう、と高をくくっていた。
 だが、それは意外と早くやってきた。上司はまず「悪とは思わないが、勧めることではない」といわれた。初担当の私に具体的なことは言わず「考えてやれ」と命じるのみだった。私は上司と「報連相」を複数回行い、処理した。内容を知るのは私と上司、当該者だけである。
 私が退職してからも当該者は年賀所をくれた。「応接室での話で救われました」。ある年は手書きでその一言が添えられていた。私は、職場では彼が困るだろうと、応接室で話すようにしていた。
 振り返れば、それは定年までの試練の第1弾。その後、類似案件を処理する参考になった。退職後、彼とは会っていない。

 (今日の575) 口外を出来ないことも思い出す
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