日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

孫のため一雨

2018年08月10日 | 自然 季節

 隣に腰を下ろした同年配の男性、初対面の人だが日焼けした腕や顔から元気な人だと直感で思う。気温35度は暑いと思っていたが、最近はあたりまえのになった、そんな会話から話が始まった。「畑が硬くなって鍬が使えない、一雨も二雨も欲しい」と菜園の苦労話になった。私が仲間と楽しむ農園もカチカチの状態という情報と同じなのだろう。

 そういえば雨らしい雨は降っていない。先日、水不足が心配と書いたが、全国ニュースではダムの貯水量1%というダム底を紹介していた。対策は台風の雨待ちという答えに、豪雨の後なのに水がない、困った状況が起きているようだ。降る所には降るが、そうでないとこは水不足になるようだ。降雨は自然のおもうがまま、これからは人工降雨も真剣に講じておかないと生きていけなくなるのではと気になる。

 隣の人は、高校生の孫が、部活だ行事だと忙しいのに一泊の予定で帰省するのを待っていると、嬉しそうな日焼けした顔に白い歯が輝る。孫に自慢の美味しい野菜を食べさせたい気持ち、そのためにも帰省の日までに一雨も二雨もほしいという思いがよく分かる。今月の仲間との農作業はまもなく、雨が欲しい気持ちは同じ。

 同じ一雨でも「一雨ありそうだ」というのは、状況が険悪になって何か事件や騒動がなくては済みそうもないことをあらわす。そんな一雨はお断り願う。「時雨」はほどよい時に降る雨。「慈雨」はほどよく物をうるおし育てる雨、ひでり続きのあとの雨。孫さんのためのも、我らが農園のためにも頭上の雲よ「じう」と変わって欲しい。
コメント (2)
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