昨日、とんぼ返り帰省した孫、仏壇で手を合わせた後に「これ爺ちゃんに」と、ちょっと凝った包装紙に包んだものを渡してくれた。大きさにしてはしっかりした重さがある。断ってすぐに開く。あらわれたのはチーズケーキ、帰省のために作ったという。
小さなころからケーキ作りが好きだった。流し台の上に背が届かないので踏み台に上がって一人が手作りする写真が何枚か届いている。親の手を借りないで完成させていたらしい。ある時、出来上がったケーキを食べていると言いながら妻に電話してきた。途中で妻の声がつまった。電話が終わって訳を聞くと「近くなら一緒に食べれるのにね」と話したという。その気遣いが嬉しかったという。
コーヒーは好きだしよく飲むが、そのコーヒーの渋さ苦さがケーキ―の甘さとどうしても一致しない。時には「まあ、美味しいのに」と揶揄される。しかし、和菓子とお茶の時はそうした違和感を覚えないのは何故かと不思議に思う。グローバル人間になっていないという事だろう。日本人の域を抜けきれていないで大損をしたことはないので、それは良としよう。
孫は普段でもケーキ作りを楽しんでいるようだから、そのキャリアは10年以上になるだろう。孫手作りのケーキの実物を見たのは初めて、外観はどの点も店頭品と見分けがつかないほどよく出来ている。話を聞くと細かいとこまで手を掛けているという。ひと口味わう。「美味い」、その一言しか出なかった。孫はやった、という満足そうな顔をしていた。コーヒーとケーキの関係を見直すきっかけになるだろうか。