ある施設で餅つきの杵などと一緒に、もち米を蒸す釜の蓋が並んでいた。久しぶりの出合いだ。何カ所かに虫食いの小さな穴があり、古いものだと感じる。手に取って眺めながら思い出した。「始めちょろちょろ中ぱっぱ赤子泣くとも蓋とるな」、子どものころに、ご飯を焚くかまどの番をするとき炎の状態と噴きこぼれについての戒めを教わった。釜と蓋の隙間からぶくぶくと泡が吹き出しても、旨いご飯にするため蓋をとるなという。
ご飯は炊飯器で炊く、これは現代の常識となっている。一流といわれる日本食店でも炊飯器を使っているのを映像で見ると少し違和感を覚える。炊飯器とは「電気やガスを熱源にしてご飯を炊き上げる電気製品、ガス製器具、この炊飯器で旨いご飯が炊けますというCMに「かまど風の炊き方」がしばしば登場する。これを見ると昔の炊き方が最新の電気製品に生かされていることを知る。
こんな重要な蓋にまつわる諺に「身も蓋もありません」という少しさげすんだ言い方がある。いろいろな解釈が並ぶ。「中身もなければ、蓋もない」「あからさますぎて風情がない」「率直過ぎて話の続けようがない」「露骨すぎて情味も含蓄もない」と心情を害する内容になっている。言われた当人は「身も世もない」心境や常態になるだろう。
赤子泣くとも蓋とるな、これは釜と合わせた米を主食としてきた日本人の今も活かされている知恵で、これからもすたることはない。釜の中の圧力を調整しご飯をふっくら仕上げる蓋の力量と役目、多事多難な地球の出来事を上手くコントロールしふっくらほっこりまるい地球に出来る蓋の役目は、米食文化の日本しか出来ないと思うのは思いすぎか。