
新聞の折り込広告に新年宴会予約受付もちらほら見受けられるが、今は忘年会、サービスつきの豪華な料理つきの広告には目移りがする。飲み放題の文字も目につく。幹事さんの選択眼が問われるが、昔の経験では行きつけの、馴染みの店だと安心できた。一方で、初めての店だと期待感が募る。現役のころ、若手の幹事だとその期待感は大きかった。その逆もあるが、宴は楽しさが肝心、年齢層が広いと幹事は苦労した。
宴の後の二次会は飲んで議論だったが、カラオケの登場で様相が変わった。スタンドでママがテープをセットすると演奏だけは初期のころ、喉に自信ある者は分厚い歌詞本から自慢の曲をリクエストした。やがて曲にマッチした映像と歌詞が映し出されるとますますヒートした。やがてカラオケボックスが登場、誰に遠慮することもなく歌いまくることになる。
そんなカラオケのお蔭で。自分から進んでは聞くことのないだろう歌と出あった。特にはやり歌はそうだったが、覚えている曲は思いだせない。どんな曲を歌っても「聞かせる」という上手さの同僚もいた。音痴の身なれば羨ましさも覚え乍ら聞き入っていた。そういう人の歌い方は「いい節回し」「玄人裸足」とうならせる。これは隠れた努力と親譲りの筋の良さだろう。
カラオケで困るのは輪番で歌うこと。持ち歌の少ないだけなら何とかなるが、それに合わせて歌うことが苦手この上ない。それは子どものころからで、伴奏に合わせて上手く歌えないからだ。音痴解消には歌詞を丸暗記することが第一と教わった。通勤で演歌を聞きながら車を運転した。しかし、その効果のないまま定年になり今日に至る。襟裳岬の作詞者が亡くなられたという。あの独特の森進一の節回しは記憶している。北の国では、もう暖炉が燃えているだろう。