日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

ローカル線

2015年08月27日 | 生活・ニュース


 44あったという寝台特急がゼロになった。3月のダイヤ改正で定期運行を終え、4月から今月22日まで臨時運行として上野・札幌間を走った「北斗星」は27年半の運行に幕を閉じた。1988(昭和63)年の3月、青函トンネル開業に合わせ東京と北海道を乗り換えなしで直行する列車としてデビューした。北海道新幹線開通などの影響を受けての運行終了を惜しむ人の姿が印象に残った。
 
 ブルートレインは夜行寝台を指す愛称、ブルトレの略称で親しまれた。新幹線が博多まで開通する間は、九州発東京行きのブルトレを利用した。数時間の会議の東京出張が足かけ3日という日程になる。初日は夕方まで通常の勤務をしてブルトレで1泊、2日目の朝東京着、仕事を終え19時ころの下りのブルトレに乗る。その大方は「あさかぜ」、3日目の朝7時ころに帰着、通常通り出社する。新幹線に変わると、早朝出発、深夜帰宅で大幅な時間短縮になった。

 会議終了後に一杯やりながら夕食を兼ねた懇親会。新幹線で東京駅から名古屋駅へ移動。ホームで夜食のきしめんを食べるうちに下りのブルトレ「金星」が到着する。これに乗り換え翌日の朝早く帰着、ブルトレは中間都市の貴重な交通手段だった。3段だった寝台段数が2段に変わったときの「儲けた感」を思い出す。

 特急など知らない我が街のローカル線、お下がりのようなジーゼルカーが鈍いモーター音を響かせながら走る。ダイヤ改正というが、ダイヤが変わるたびに減便となる。これがローカル線の定めだろう。昼間、踏切で見送る車内に人影の見えないときもある。山あいを走るが大方は無人駅、かの猫駅長にあやかるものが見出せないだろうか。浮かぶのは鹿、猪、猿そんな生き物たち。ちょっとしゃれた臨時便を走らせ、沿線の里山作業を体験し、中山間地ならの食材で食をとる、そんな活用策は夢だろうか。
コメント (2)
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