日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

防災の日

2007年09月01日 | 回想


1923(大正12)年9月1日のお昼ころ、マグニチュード7.9の大地震が関東地方を襲った。東京・横浜は火の海になったという。この日を「大災害を忘れることなく不足の事態に備える」として1960(昭和35)年防災の日とされた。全国で何十万人もの方がこの訓練に参加され、その備えの体験をされたという。大切なことだろう。

わが街でも13時から5分間、避難勧告の際に使用する消防サイレンの試験吹鳴が行われた。5秒の吹鳴は短いと感じたが、吹鳴のないことを願う。

立春から210日、台風の襲来シーズンになった。いま南方海上には日本を伺う台風が観測されている。当地では1昨年の錦川流域の台風被害の記憶は新しい。錦帯橋橋脚流失のニュース画面も忘れられない。流域では防災訓練が幾度も行われたと聞いている。が襲来のないことを願う。

子どものころ裏山が崩れ庭に流れこんだ。風呂などは倒壊した。水を含んだ山は木の根もろとも庭を覆った。近所に避難しており、けがなどはなかった。土砂の除去にどれほどの力になれたか記憶にない。

池には10数匹の鯉がいた。そのうちの1匹が防空壕で泳いでいた。土砂に押し出されたのか、奇跡の1匹だった。父の知人の池に引っ越して行った。ほかの鯉は土砂につぶされていた。

在職中にも幾度か台風の襲来を経験した。プラントを止めない努力をしたものだ。夜勤のそれは昼間の数倍疲れた。空がしらみ始めると同僚の顔が優しくなり、軽口をたたく。それまでの緊張を隠すかのように。

今は、自然災害の観測予報技術が進歩しそれとともに防災対策も充実されつつあるが、まだ受身の部分が多い。避難勧告のサイレンを聞けばいつでも行動できる備えをと、この時期には思うが次第に薄れている。加齢にあわせきちんとしなければ、今感じている。
(写真:稲刈りの終わった田には秋を感じる)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする