レビ記 8章1−13節
近所のスーパーでいちごが小さなパック99セントで売っていました。色も形もよいのですが、味は…? 以前同じようなものを買って「裏切られた」ことがありますので、ドキドキしながら食べてみたところ、美味しかったです。そこで、さらに2パック買い求めました。
レビ記8章から10章にかけては、祭司がその務めのために聖別されることについて、神が命じられたことが記されています。 大祭司の務めはモーセの兄であるアロンが、そして祭司の務めはアロンの子らが行うものとされていました。神はアロンとアロンの子らが大祭司、そして祭司の務めを行う前に、周到な任職の儀式を行うようにお命じになったのです。
この任職の儀式には全会衆が集められました。なぜなら、大祭司や祭司の任職はイスラエルが神の民として歩むうえで、大きな意味を持つべきものであったからです。水で洗われ、大祭司の装束を一つ一つ身にまとっていく様(さま)を、そしてアロンの頭に油を注がれるのを、民はどのような思いで見ていたのでしょうか。 出エジプト記28章2節では、大祭司の装束は神の御前に立つ者としての「栄光と美を表す聖なる装束」と言われています。
大祭司や祭司が務める幕屋もそのすべてに油が注がれました。そしてアロンの頭にも…。これは、神に仕えるもの、神に仕える場所が罪や汚れからきよめられ、神のために他の者と分けられるためです。これらは、今の教会では見られないものですが、だからといって、いわゆる「お気楽に」神に仕えてもよいということにはなりません。形に表れないだけに、よけいに神によってたましいがきよめられることを心する必要があるのだと教えられます。