レビ記 2章
休みを終え、働きの地に戻ります。
レビ記2章には「穀物のささげ物」についての規定が示されます。1章の「全焼のささげ物」が神がご自分の民を近くに招いておられるものだとしたら、穀物のささげ物は、神の招きに感謝するご自分の民の神への贈り物のようです。贈り物ですから、いやいやではなく進んで喜んでなされるべきものです。
ここでは、2、9、16節に出てくる「覚えの分」ということばに目が留まります。このことばは新改訳聖書第三版では「記念の部分」、新共同訳では「しるし」と訳されていました。これは、「穀物のささげ物」のうち祭壇で焼く物のことです。すべてではなくて、一部なのです。残りの部分は祭司の食べ物となりました。それゆえに「覚えの分」と呼ばれているのです。また、ささげ物としなかった収穫物のほとんどは献げる人が自由に使うことができました。
今ならば、私たちの金銭的な収入と言えるでしょう。自分で仕事をして得られたお金の一部を神への感謝を表すものとして献げます。そしてその残りは自分たちの必要のために使うのです。その場合忘れてならないのは、確かに「覚えの分」として一部を献げているのですが、残りも自分のものでなくて、実はすべてが神のものなのです。このような視点を失うと、「覚えの分」として献げる折に喜びが失せて、義務感が先に立ってしまうことでしょう。
きょうの「みことばの光」の「考えよう」の中に、「すべては自分のものだと勘違いしていないだろうか」という問いかけがあります。すべては神のものなのです。