エペソ人への手紙 2章1−10節
日曜日夕方、祈りをもって支えておられる方と電話をしました。昨年の歩みについて整理しつつ話す中で、必死になっている時には気づかないでいた素晴らしい神の恵みのお働きを発見。「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな」との詩篇を覚えました。
エペソ人への手紙2章前半には、死んでいた者をよみがえらせるため、いや、新しく創造するために神の全能の力が働くのだと書かれています。パウロはここで、「あなたがた」ということばと「私たち」を使い分けています。しかしそれは、「あなたがたはひどい! でも、私たちはそうではない」ということを伝えたいためではありません。
あなたがたもそうだけれども、私たちも同じなのだと書いています。すべての人は罪を犯した、すべての人はそのままでは神の御怒りを受けなければならないと述べています。そして、神に造られた者が神に背くことによって、どんなに悲惨なものになるのかを伝えます。
6節から10節の「キリストとともに」、「キリスト・イエスにあって」ということばに目が留まります。罪人の救いがキリストお一人にかかっていてほかに可能性はないのだと、「あなたがたから出たことではなく」という8節のことばとともに述べています。
「神の作品」ということばをも思い巡らしました。神は私という作品によって何を伝えようとなさっているのだろうかと…。