みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

食べるにも飲むにも

2020年01月29日 | レビ記

レビ記 11章1−28節

 中国で発生した新型のウィルスに感染した人が増えていると報じられています。大量の情報が即時に広がる現代では、人の移動もこれまでになく活発ですので、ある地域で発生した病気を広がらないようにするのは今まで以上に困難なことかと思います。最前線におられる方々を支えてくださるよう、神に祈ります。

 レビ記11章から16章には、「聖と俗」というタイトルがふさわしいと思います。11章44節に「あなたがたは自分の身を聖別して、聖なる者とならなければならない。わたしが聖だからである」ということばがあります。イスラエルの民は、聖い神の前に歩む者たちですが、彼らが生きているのはこの世、地上でした。そこで彼らは、自分たちの目の前にあるさまざまなものを峻別して汚れから身を守る必要があったのです。

 けれども、そのための基準を自分たちで考えたのではありませんでした。神が与えられたのです。聖なる神が、ご自分の民が聖なる者となるためにこれを避け、これを行えとの指示を与えられました。そして11章。 とても興味深い箇所です。

 何を基準に食べてよいのか、食べてはならないのかがここに明示されていますが、その違いが何かについては本日の「みことばの光」にあるように、今では五つの解釈があるようです。いずれにしても、神はここにあるように、何を食べてよいのか、食べてはならないかをお示しになったのです。イスラエルの民は、なぜ…? とせずに、神がそう言われたのでそれを守りました。

 そして今、私たちは、口から入るもので人が汚れることはないとの主イエスのことばによっても、食べ物についての規定からは自由になりました。だからこそ、食べることについても神の前によく祈り考える必要があるのだと教えられます。

 「あなたがたは、食べるにも飲むにも、何をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい。」コリント人への手紙第一 10章31節


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