みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

明らかにされた奥義

2020年01月08日 | エペソ人への手紙

エペソ人への手紙 3章1−13節

 久しぶりに回転寿司へ。タッチパネルで順番待ちの紙を受け取り、タッチパネルで注文し、届く時には座席のそばのスピーカーから到着のお知らせが流れます。会計の時にはお皿の数をハンディスキャナーのようなもので数えるのですが、この「読み取り君(勝手に名づけました)」が一皿少なく数えたので、お店の人が目視で補正。「さすがですね。でも、『読み取り君』もがんばってますね」と言うと、その方は「時々動きが悪くなって…」と笑いながらおっしゃっていました。なにか「今浦島」のような気持ちです。

 この箇所には「奥義」(おくぎ)ということばが登場します。日本ではこの漢字は「おうぎ」と読まれて、学問や武芸などの深遠な事柄、極意などを意味することばとして用いられてきました。修業を重ねて師匠のお墨付きを得た者に伝授される…というようにです。しかし、ここでの「奥義(おくぎ)」とは長い間隠されてきた神の計画という意味で、新共同訳聖書は「秘められた計画」と訳します。

 そしてそれは、6節に明らかにされており、福音によって実現しました。特別な修行を重ね、高められた境地に到達した人だけが受けることができるものとしてではなくて、信じるすべての者にこの奥義が実現するのです。罪人が聖い神の前にきよめられたものとして立つことができる術を、人は見いだせません。神が完成されました。神がそのようになさらなければ望みはなかったのだと思うと、これを福音と言わずにに何と言うか! と心が高揚し、感謝があふれます。

 そして、それを伝え、届ける者と自分たちがされているとパウロが語ることばからも、「あなたも…」という促しを…。


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