レビ記 5章1−13節
久しぶりに近くの公園を通り抜けて商店街へ。今は鉄道の複々線工事で線路の下の通路が通行止めになっているので、遠回りをしました。美味しいアイス屋さんが閉まっていました。この時期、アイス屋さんは長めのお休みを取るようです。
きょうの箇所でも、罪のきよめのささげ物についてのきまりが続きます(私はそのように理解します)。繰り返し出てくるのは、「後になって責めを覚える場合」ということば。「そのことは彼には隠れていて」ということばとともに用いられています。
その時には意図していないけれども、後になって自分のしたことについて責めを覚えるような場合があります。その場合は、「ああ! するんじゃなかった」などと悔やむのではなくて、自分の陥っていた罪を神に告白して、その償いとしてささげ物をするのです。
雌の子羊、雌のやぎをささげるようにと言われてるのですが、それらを買い求めることができないならば、山鳩二羽あるいは、家鳩のひな二羽をささげるように、それも買い求めることができなければ、十分のい知恵派の小麦粉をささげるようにともあります。神は富む者にも貧しい者にも、罪が赦されるための道を用意しておられます。
このようにして、すべての人が神によって罪を赦してもらうための仕組みが明らかにされました。それは、神がすべての人への罪の赦しの道を開いておられるということです。ここを何度も読みながら、十字架にかかられた主イエスをおぼえます、感謝とともに。