みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

神が栄光を現す

2020年01月28日 | レビ記

レビ記 10章

 用いているノートパソコンにキーボードカバーをつけました。当たり前ですが、やはり打ちにくく、タイプミスも…。外そうかとも思うのですが、もう少し使ってみます。

 レビ記10章は、9章の終りにある記事と関係があります。

 大祭司アロンの任職の後、神の栄光がイスラエルの民全体に現れて、火が主の前から出て来て祭壇の上のささげ物と脂肪を焼き尽くしました。一方、10章初めには火が主の前から出て来て異なる火をささげたナダブとアビフを焼き尽くしたとあります。 全く違う出来事ですが、実はどちらも、神がご自分の栄光を現された出来事でした。

 この事件がアロンとその子どもたちの任職からどのくらい経っていたのかはよく分かりません。けれども、アロンと子どもたちの大祭司、そして祭司職への任職の儀式の後にあるのは、神が定めた祭司のあり方、務めを踏みにじったという二人の罪の大きさを伝えるためのものだったのでしょう。

 私は、彼らの悪意をここから感じます。たとえば、1節の自分の火皿を取り、その火の上に香を盛ったということが、至聖所の香の壇でのことだとしたら、大祭司アロンだけが年に一度しか入ることの許されない場所に彼らは入ったということになります。また、9節の「ぶどう酒と強い酒を飲んではならない」との神の戒めは、ナダブとアビフがそのようにしたということを暗示しているようにも思います。

 アロンと子どもたちの任職の際、モーセは任職のささげ物の血を右耳に、右手の親指に、右足の親指に塗りました。それは、彼らが神のことばを真剣に聴くこと、自分の手の働きを専ら神のために用いること、神が示す道だけを歩むことを象徴していたとされます。

 二人はそれを完全に踏みにじりました。心すべきことです。


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