みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

相手のそばに立つキリスト

2020年01月14日 | エペソ人への手紙

エペソ人への手紙 6章1−9節

 日本では成人の日の昨日、利根川を渡ってお隣の県へ。2年前に帰国された方を訪ねました。ご自分の故郷から遠く離れた地でがんばっておられる姿に感動。応援しています。そして、祈ります。

 6章の前半には、親子の関係、そして主人と奴隷との関係における、パウロの命令が明らかにされています。気づくのは、それぞれの命令が大切な前提に基づいているということです。

 子どもたちへの命令には、「主にあって」ということば、父たち(親たち)の命令には、「主の教育と訓戒によって」、奴隷たちには、「キリストに従うように」、そして奴隷の主人たちには、「彼らの主、またあなたがたの主が天におられ、主は人を差別なさらない」ということばが伴っています。

 それはすでに5章21節で「キリストを恐れて、互いに従い合いなさい」とあることばと重なります。子どもと親とは時に緊張関係に置かれます。相手に反発し、苛立たせるなどということは多くが経験していること。破滅的な事件につながるようなこともあります。キリストを恐れるということが互いの心にあるならば、態度や口から出ることばがどのようになるのだろうか、きっと違うことでしょう。

 また、パウロはここで神の前に人は平等なのだから、奴隷たちよ立ち上げれ! とは命じません。主人たちに奴隷を解放せよとも言いません。仕組みを変えることではなくて、それぞれの心にキリストが生きているのだから、どのように行動するのかと迫るのです。

 あの親が、あの子がと、とかく目に見える人の一挙一動が気になることがあります。そのようなとき、キリストのお姿を自分の目の前の相手のそばに認めることができたならば何が変わるだろうかと、考えます。


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