みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

主がせよと命じた仕事

2024年05月29日 | 出エジプト記

出エジプト記 36章

 使用しているコンピュータの「壁紙」(デスクトップの背景)の一部を、このブログで掲載している写真にしてみました。これまでは「ゴミ箱」に入れていたものを、一つのフォルダに集めるようにしたのです。5秒ごとに懐かしい写真が見られるように設定。時折「この写真は……で撮った」などと思い出しています。昨日の写真も早速登場しています。

 この箇所では、幕屋を覆う天幕、幕屋の壁になるアカシア材の板と横木、そしてこれを固定するための台座、、聖所と至聖所を隔てる仕切りの幕、幕屋の入り口にかける垂れ幕などが次々に作られていった様子が描かれています。

 どのような素材で、どのような寸法のものであるのかについては、すでに26章で明らかにされていますので、内容としては重複しているかのように見えます。しかし、そうではありません。ここでは、神がこのために選ばれたベツァルエルとオホリアブを筆頭にした制作者たちが「すべて主が命じられたとおりに」仕事をした様子が記されています。

 材料や寸法などが二度も詳細に書かれているのは、人々が主のことばに従ったということを伝えているのです。そこには、誰かの都合で変更したり省略したり、また付け加えたりなどということはなかったのです。

 神のために何かを為すということは、神に従うということなのだということをこのことからも教えられます。

 当たり前ですが、設計図が示されたからといって、それらが完成するのではありません。設計図どおりに作成する人々、職人が必要です。さらには、素材の調達もしなければなりません。

 3−4節に目が留まります。特に「あり余るほど」という言葉に注目します。主への奉納物はあり余るほどだったというのです。あり余って困ったというのは、「うれしい悲鳴」というべきものです。


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