出エジプト記 40章1−15節
日曜日は久しぶりに雨が降らない一日だったように思いました。礼拝を終え、バス停まで来るとちょうどのタイミングでバスがやって来ました。2系統のバスに乗れるのですが、日曜日は本数が少ないのでおおむね15分おきの運行です。
ここには、主が命じられたとおりに造られた幕屋と庭が設営される様子が描かれています。1節の「第一の月の一日」とは、イスラエルの民がエジプトを出た翌年の第一の月のことです。彼らは第一の月の十四日にエジプトを出ました。ですから、幕屋が設営されたのはほぼ一年後のことです。
幕屋とそこに置く備品類が製作される際にも、手順というかプロセスは大切です。順序を間違えると組み立てることができなかったり、十分な強度を保つことができなかったりします。幕屋の設営にも順序が大切だというのは言うまでもありません。
前章の後半には、主の命令どおりに造られた一つ一つのものがモーセのところに運ばれて来たとありました。彼らはそれらを慎重に運んだことでしょう。そして、喜びをもって運んだことでしょう。それらはすべてが主の御旨にかなうものだったというのは、39章43節の「モーセは彼らを祝福した」ということばから明らかです。
設営においても、彼らは主の命令どおりに行います。一つ一つのものが置かれるべきところに置かれなければ用をなすことはできないからです。
さらに、あるべきところに置かれたからといって、それで完了ではありません。主の会見の天幕でのみ用いられるものなのですから、聖別されなければなりません。
ここを読んで、弟子たちのためのイエスの祈りの一言を思いました。「真理によって彼らを聖別してください。あなたのみことばは真理です。」(ヨハネ17章17節)
自分は主のご用のためにもっぱら用いられているだろうかとの問いが、心に浮かびます。