出エジプト記 39章1−21節
6月を迎えました。昨日はドレスデン、スイス、そしてフランクフルトを結んでのオンライン聖書の時間。「神の自己紹介」というテーマで詩篇を一緒に味わうことができました。何度読んでも、いつも感動が与えられるのは不思議な喜びです。
読み進めてきた出エジプト記も、あと数回を残すのみとなりました。「みことばの光」でまた本書を読むのは5年後のこと。その時自分は何をしているのだろうかとふと立ち止まって考えています。
39章前半には、大祭司の式服が作り上げられていく様子が描かれています。本書では31章、35章にすでに大祭司、祭司の装束を作るという記事がありますので、三度目です。重複する記述なので、読み飛ばしたくなると思うのですが早まるのはちょっと…。三度書かれている理由があります。
31章では主がモーセに命じられたことばとして取り上げられていて、簡潔な命令です。35章では、モーセが人々に大祭司と祭司の装束を作成するよう、詳細に人々に命じています。そしてここでは、人々が主の、モーセの命令どおりに式服を作り上げていったことが描かれているのです。
ですから、ここで何度も繰り返されているのは、「主がモーセに命じられたとおりに」ということば。確かに31章の命令は完結なのですが、そこで主は詳細にモーセに語っておられるのです。モーセは主の命令を省略することなく、反対に付け加えることなくそのままベツァルエルやオホリアブに告げたことが分かります。
大祭司は神と人とを結ぶ務めをします。そしてその務めは、しかも完全な務めをする大祭司としてイエス・キリストがおられることを、ここを読んで改めて覚えます。
「ですから、天の召しにあずかっている聖なる兄弟たち。私たちが告白する、使徒であり大祭司であるイエスのことを考えなさい。」ヘブル人への手紙3章1節