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2024年06月13日 | ガラテヤ人への手紙

ガラテヤ人への手紙 5章1−11節

 陽射しは強いのですが、空気が冷たいのでどこかひんやりとする水曜日でした。でも服装は半袖に…。「みことばの光」には投稿ページがあるのですが、ちょうどのタイミングでのご投稿が! ありがとうございます。本ブログをお読みの方もご投稿ください。

 信仰のみによって義と認められることについての旧約聖書による論証は5章1節が結論です。キリストは私たちを自由へと解放してくださったのだから、再び奴隷のくびきを負わないように、つまり偽りの教えに惑わされてはならないと、パウロは結論を書いています。

 2節以降でパウロは、具体的な行動として、ガラテヤの人たちに割礼を受けてはならないと勧めるのです。彼は次のように話を進めます。

 もし、ガラテヤの人々が割礼を受けるならば、キリストがしてくださったことは何の意味もないということになる、もしも割礼を受けるならばあなたがたは律法全体を守らなければならない、それは不可能なことだ、その結果、あなたがたは神の恵みから外れてしまうと書くのです。

 そしてパウロは、「私たちも割礼を受けなければ!」と心を騒がすガラテヤの兄妹たちに、大切なのはそのようなことではないと強く迫ります。

 6節に目を留めます。ここに、割礼問題で心騒がす彼らへの最も伝えるべきことばがあります。それは「愛によって働く信仰」だということ。

 これは、1世紀中ごろのガラテヤの諸教会だけでなく、あらゆる時代のすべての地域にある教会に宛てられるべき、大切な勧めです。そしてこれは、この後に続くパウロの勧めの前触れとなります。

 今私は、何を「キリスト・イエスにあって大事な」こととしているのでしょうか。


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