みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

わたしの臨在がともに

2024年05月24日 | 出エジプト記

出エジプト記 33章

 毎日できるだけ歩くことを心がけていると以前にも書きました。いっしょうけんめい歩いているのですが、それでも余裕の歩きで、すいすい私たちを追い抜いていく方もいます。歩き方の違いもあるでしょうし、歩幅の違いも大きいと思っています。悔しいとは思わないのですが…。

 大きな罪を犯したイスラエルの民のために、モーセは祈り続けます。主は、約束の地に先に住む民を追い払って、イスラエルを住まわせると約束するのですが、「わたしは、あなたがたのただ中にあっては上らない」と言われます。理由は、彼らがあまりにもうなじを固くするので、途中で滅ぼさないようにとのことです。主は彼らを見捨てるどころか、彼らが約束の地に進むことができるためにそのように言われたのです。

 このことばは、民を大きな悲しみに追いやります。そして、彼らは悲しみを自分たちの飾り物を外すということで表しました。4−6節の出来事の順序は考慮すべきかと思うのですが、主は彼らの具体的な行動をご覧になりました。

 7−11節は主とモーセがどれほど親密に交わりを持っていたかを伝えています。そして、出来事は12節以降へと進みます。モーセは、「この民を連れ上れ」と言われた主に食い下がるように祈ります。それは、主ご自身がモーセと、そして民とともに進んでくださるようにとの必死の願いです。

 そして主は、「わたしの臨在がともに行き、あなたを休ませる」と言われました。「臨在」と訳されていることばは直訳では「顔」です。主はモーセの必要に、そして民の必要に答えてくださいました。

 ここは、私が主に何を望むべきなのかについて大切なことを伝えています。自分の願いの実現ではなく、主の臨在が常にともにあることだということです。


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