みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

神をあがめていました

2024年06月06日 | ガラテヤ人への手紙

ガラテヤ人への手紙 1章11−24節

 薔薇とともに、私たちを楽しませているのは木苺(きいちご)の花。ちょうど今が満開です。よほど蜜がおいしいのでしょうか。蜂たちが盛んに飛んできます。あと数週間で実が食べられるようになることでしょう。

 ガラテヤ人への手紙の出だしは、パウロのほかの手紙とは違います。日本語の聖書では、「人々から出たのでなく」から始まります。

 きょうの箇所でも、パウロはまずガラテヤの諸教会に宣べ伝えた福音が人間によるものではないと言い切っています。そのあと彼は、自分がかつてはナザレ人イエスをメシアと信じる教会を迫害していたと隠さずに話します。

 13節に「神の教会」とあります。パウロはイエス・キリストの福音を信じて誕生し、自分が迫害してきた教会を「神の…」と言い切るのです。

 ユダヤ人として生まれ、ユダヤ教に人一倍熱心だった彼が、なぜそれまで激しく迫害してきた教会に加わったのか。それは誰かの説得によるものではなかったのです。パウロはここで、ただイエス・キリストの啓示によって受けたと書いています。

 イエスをキリストだと信じるということは、その人にとって奇跡のようなものだという人がいます。人は多くを学び知識を積み上げて、イエスがメシア、キリストだと納得するのではありません。信仰によるのです。

 パウロは、自分の身に神は奇跡を行われたと言っているのです。本章の終わりに、「私のことで神をあがめていました」とあります。自分に起こったことは、誰かが誇るためでなく、ただ神をあがめるためなのだということに、改めて気づくことばです。


2011-2024 © Hiroshi Yabuki