みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

あの神です

2024年06月22日 | サムエル記第一

サムエル記第一 6章

 月一度の家庭での聖書の会。到着時刻を設定して出かけましたが、思いの外(ほか)接続が良く、30分以上も前に着くことになりましたので、トラム(路面電車)の停留所からおよそ1キロ半ほど歩くことに……。時折雨が降る天候でしたが、美しい緑の中を30分近く歩くことができました。

 主の箱とは、あかしの箱、契約の箱、神の箱とも呼ばれ、神がモーセに造らせた幕屋の、至聖所の中に置かれていました。箱の中には、十戒が刻まれた二枚の石の板が入っています。

 6章は、もともとはイスラエルの民の中にあるべき主の箱が、敵のペリシテの地にあったということばから始まります。彼らは、自分たちが「神が陣営に来た」(4章7節)と恐れた主の箱を、イスラエルから分捕ることで、大きな力と繁栄を手にすることができると考えたのかもしれません。しかし、その期待は裏切られ、箱がペリシテにさまざまなわざわいをもたらしたことは、5章で述べられています。

 彼らは「厄介払い」をしたいと、自分たちのやり方で箱をイスラエルに送り返すことにしました。そしてイスラエル側のベテ・シェメシュへと箱を送り届けたのです。

 9節に目が留まります。彼らは主の箱を載せた荷車を引く雌牛がどこに行くかによって、自分たちにわざわいが起こった原因を知ろうとしました。「その箱が……ベテ・シェメシュに上って行くなら、私たちに大きなわざわいを起こしたのはあの神です」と彼らは考えたのです。そして神は、「イエス」と答えられました。

 これによって、イスラエルの主である神がペリシテ人にとっても唯一の神であることを、神はペリシテ人に知らせようとされました。神の大きさをおぼえる出来事です。同時に、神を知っているはずの私たちは、このお方を小さくしてはいないかという問いかけも受ける出来事です。

 箱はようやくイスラエルの地に戻されました。しかし、ベテ・シェメシュの人々の軽率な行動によって彼らはわざわいに遭います。20節の「誰が、この聖なる神、主の前に立つことができるだろう」とは、すべての者が持つべきあり方なのです。


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