みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

わたしの兄弟たち

2019年08月10日 | マタイの福音書

マタイの福音書 25章31−46節

 ポストに近所の教会の「新聞」とドイツ語クラスの「先生」のメモが入っていました。次の火曜日からクラスが始まるとの内容でした。私たちを忘れずに折を見て訪ねてくださるのを有り難いことだと改めて思います。この州では学校の休みは今週いっぱい。気がついてみたら、日没が少しずつ早くなっています。

 日本でも当地でも四季があり、春夏秋冬と巡りますので、このまま私たちのこの世界もぐるぐると巡り続けるように思えるときもあります。けれども、神の国の到来についてのイエスの教えの締めくくりは、最後のさばきがあるということです。

 御座に着く御子イエスの前に、すべての国々の人々が集められます。そして、御座に着いておられるお方は、羊飼いが羊とやぎをえり分けるように、人々を右と左とに分けます。これがさばきです。

 何がさばきの規準になるかというと、「わたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人に」愛のわざをしたかしなかったかです。「わたしの兄弟たち」とは、主イエスの弟子のことです。弟子はイエスの代理であり、弟子にしたことはイエスにしたことなのです。弟子たちを遣わす時にイエスが話した、「あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れるのです」との10章40節のことばを思い出します。

 厳粛なさばきのことばを前にして、主の教会において小さな者たちが蔑まれることはないか、この世界の価値観が教会にいつの間に入り込んでいることがないだろうかと思います。さらに、この世にあって私たちを主イエスは「わたしの兄弟たち、最も小さい者たち」と見ていてくださるのだというのはまことに有り難いことだと感謝に堪えません。


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