みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

目を覚まして待つ

2019年08月08日 | マタイの福音書

マタイの福音書 25章1−13節

 南ドイツの小旅行から戻って来ました。帰りの車中で今回の旅行のキーワードは「並ぶだったね」と話しました。有名な観光地ではバスに乗るために並び、博物館ではチケットを買うために1時間以上並びました。ほかにも、目的地に行くはずの列車が途中で運転打ち切りになり、後続の列車に乗り換えるというハプニング(時々あることなので、正確にはハプニングとは言えない…)もありました。

 「列に並ぶ」ということは、入場券を買うなど目指すものを待つということです。今回は楽しむためのものなので、いろいろと話ながらのんびりと待ちましたが、そんなことを言っていられないものもあります。

 主イエスはご自分が再びおいでになることについて弟子たちに話されたあとで、どのようにしてその時を待つのかと話を進めていかれます。テーマは「目を覚ましている」と言うことです。

 十人の娘たちが花婿が婚礼の席にやって来るのを待つというたとえを、ここで主イエスは用いておられます。なるほどそのとおりだとうなずくのですが、心のどこかで、どうして予備の油を持っていた5人は、持っていなかった5人に分けたげなかったのだろうかなどという、疑問を感じたりする話です。

 けれども、主がおいでになるという歴史の一大事のために備えるということを、花婿を待つキリスト者は怠ってはならないというメッセージがここにあるように思うのです。誰かをあてにするのではなくて、自分自身が大切なお方がおいでになるための備えをして待つようにとの促しを覚えます。備えはいかに…?

 なぜなら、このことを待つのは一人一人の信仰者の最大関心事、一大事であるからです。

コメント

2011-2019© Hiroshi Yabuki