サムエル記第二 18章19−33節
帰路、23番線ホームに停っている列車のドアがいつまで経っても開きません。発車5分前になっても…。すると、「きょうの車両は18番線に停っている車両になりました」とのアナウンス。私たち乗客は、長い道のりを18番線ホームまで歩きました。周りで待っていた人からは文句の一つも出ずに、「またかぁ、やれやれ」という表情でした。楽しい経験、でした。
ダビデは戦いの結果を待っていました。そして、この時ダビデの元には二人の使いが報告のために急いでいました。一人はアヒマアツ。彼は兄弟のヨナタントともに、大切な局面でダビデのために情報を伝達する務めを担っていました。アヒマアツは戦いの結果を自分が知らせたいとヨアブに願いますが、却下されます。そしてクシュ人が伝令として遣わされます。けれども、アヒマアツのたっての願いが通ってアヒマアツもダビデの元に急ぐことになり、結局アヒマアツ、クシュ人の順で報告されることになります。
ダビデの関心は、自分たちが勝利したか敗北しなかったかということにも関心を持っていましたが、二人の伝令に問うたのは、いずれも「若者アブサロムは無事か」だったことを考えるならば、もっとも大きな関心はアブサロムが無事かどうかということでした。そして、クシュ人の伝令からアブサロムの死を知らされたダビデは、あたり構わず泣きながらわが子の死を悲しむのです。
「私がおまえに代わって死ねばよかった」という嘆きから思うのは、いわゆる「バテ・シェバ事件」(11章)のことです。あの時、ダビデはあれほどの大きな罪を犯したにもかかわらず、簡単に赦されたようにもみえます。けれども、彼は自分が犯した罪の結果を、長い間かかって刈り取るような経験をするのです。もっと早くアブサロムに手を差し伸べていたならとの思いも悲しみの中で思ったことでしょう。ここまで来ないと自分の気持ちを表せないというのは、ダビデに限ったことではありません。