みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

しるし

2019年08月05日 | マタイの福音書

マタイの福音書 24章1−14節

 8月初めの日曜礼拝は、大勢の方々といっしょでした。旅行中の方は教会のWebページで場所を確認してお出でになりました。12日まで市内中心部から教会最寄り駅までの地下鉄が運休で、迂回を強いられるのですが、「よくぞ!」来てくださいました。感激です。

 マタイの福音書24,25章の主題は「終末」(この世の終わり)です。物事には始まりがあるのだから必ず終わりがある、それは、私たち自身の経験からも言えます。

 ところが私たちは、なかなかそのことを受け入れることができません。いや、受け入れたくないのだと思います。「きょうという一日」がこれからもずっと続くものと考えるのですが、イエスのお答えは、そうではありません。

 きっかけは壮大な宮の建物を指し示したことでした。他の福音書には、弟子たちがこの時何を言ったかが記されています。

 「先生、ご覧ください。なんとすばらしい石、何とすばらしい建物でしょう。」(マルコの福音書13章1節)

 けれどもイエスは、彼らが腰を抜かすようなことを言われたのです。聞いた弟子たちはイエスのことばにうなずけたのでしょうか。そうではなかったと思うのです。しかし、イエスのことばは程なくそのとおりになります。

 遺跡を巡ると、そこに繁栄した都市があり、多くの人々が一緒に生活していたのだと思わされます。けれども今そこを訪ねても、人々の喧噪はありません。かたちのあるものは必ずこのようになるのだと、改めて思います。

 そしてそれは、建物や町にとどまることなく、この世の終わりにまで及ぶのです。特に心に留まるのは、イエスを信じる者たちの交わりとしての教会にも、裏切りや憎み合いが起こり、誤った教えがはびこるとのしるしが、世の終わりの前にあるということです。

 「御国のこの福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての民族に証しされ、それから終わりが来る」とのイエスのことばも…。教会に託されたつとめなのだと思いを新たにします。

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