みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

イエスの弟子になっていた

2019年08月21日 | マタイの福音書

マタイの福音書 27章57−66節

 当地時刻の朝になって、投稿した文章が明日の聖書箇所であることに気づきました。復活はもう1日後のことでしたね。すでに復活についての文章をお読みになった方は、驚かれたことでしょう。私もびっくり!

 イエスのからだを埋葬することで明らかになったのは、アリマタヤ出身のヨセフがイエスの弟子であることが明らかになったことです。マタイの福音書にはこのヨセフのことだけが記されていますが、ヨハネの福音書はニコデモの名前も重ねます。二人とも、イエスが十字架で死なれたことによってイエスの弟子であることが明らかにされたのです。

 この二人に限らず、少なからぬ人が自分がイエスを信じていること、弟子であることを公にしていないのではないかと考えさせられます。その理由はさまざま。けれども、何かのきっかけで隠されていたことが明らかにされます。主は必ずそのような時を迎えさせてくださいます。

 「二人のマリアはそこにいて」と61節にあります。二人は何を思いながら「そこに」いたのでしょう。安息に地が開けた時に何をするのかを考えながらいたのではないでしょうか。「そこに」いた二人は日曜日の朝、最初の主イエスの復活の目撃者になるのです。少し飛躍があるかもしれませんが、イエスのそばにいつでもいることの大切さを思わせる一言として、このことばを受け取りました。

 イエスを死に追いやった人々は、イエスが三日後によみがえると予め話していたことばを恐れて、対応策を採りました。しかし、彼らが講じた対策も復活の圧倒的な事実の前には力がなかったことが、まもなくわかります。

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