マタイの福音書 28章1−10節
ここは主イエスの復活の箇所。イエスが復活したという福音書の記事は、イースターに読むことが多いので夏が終わろうとする今に読むのは不思議な思いがします。しかし、よくよく考えてみますと、キリスト者の信仰生活は復活した主イエスがともに歩むことにあるのですから、いつでも主の復活を覚えるべきなのです。
亡くなったイエスのからだに香油を塗ろうとして明け方に墓に向かったマリアたちが見たものは、まず墓の入り口をふさいでいた石が脇に転がされていたことでした。次に御使いを見、そのことばを聞きます。彼女たちの悲しみや恐れは喜びへと変わりました。彼女たちの鮮やかな変化は、私たちにとっても同じように体験できるものなのです。大きな壁にぶつかり、暗くうつむいていても、よみがえられた主イエスが信じるものとともに歩んでくださるという事実に気づくならば、たちまち深い喜びに満たされる…はずなのです。
主イエスの復活を確信した彼女たちの様子は、8節に記されます。「恐ろしくはあったが大いに喜んで、急いで墓から立ち去り、弟子たちに知らせようと走って行った。」この喜びと行動を私も…と、大いに揺さぶられます。