マタイの福音書 26章14−25節
きのうは日本では「山の日」、月曜日は振替休日だそうですね。今ごろになると北八ヶ岳の麓(ふもと)で、毎年のようにキャンプをしていたことを思い起こします。ある時は道標を読み間違えて、いつの間に同じ道を戻っていたということもありました。
きょうの箇所では、14節の「そのとき」ということばが心に留まりました。ベタニヤ村で、マリアが主イエスの足にナルド油を注いで髪の毛でぬぐい、部屋中にかぐわしい香りが満ちていた頃、という意味でしょうか。そんなとき、ユダは祭司長のところに行き、銀貨30枚で主イエスを裏切るのです。一方ではイエスへの愛に基づいた美しいことが行われ、もう一方ではイエスを裏切る者がいるのです。
そしてユダが裏切ることは、この章の始めで祭司長、民の長老、そして大祭司という、当時の社会の権力者たちの企てとは違う方向に、すなわち、イエスご自身がおっしゃった「二日たつと過越の祭りになります。そして人の子は十字架につけられるために引き渡されます」ということばが実現するために、大きな一歩を踏み出したと言えます。
過越の食事の準備をする際にも、すべてを知りすべてを治めているイエスならではのことが行われていきます。十字架への道は、当時の権力者の思惑どおりのものではなくて、神のご計画通りに開かれていくのです。