みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

誰も知らない

2019年08月07日 | マタイの福音書
マタイの福音書  24章29ー51節
 
 
 久し振りに家族で旅をしています。久しぶりに会った3人の子どもたち(私たちにとっては孫)の成長の速さにビックリ。また、育てている両親のパワーはすごいものだと、思います。そして、自分たちはどのようにしてきたのだろうと、振り返る時でもありました。
 
 主イエスによる、これから先に起こることについての教えは、歴史でまだ起こっていないことに及びます。人の子、つまりイエス・キリストが再びこの世界においでになること、再臨(さいりん)へと主イエスは話を進めていかれます。
    
 この箇所を読んでいつも心に留まるのは、人の子が天の雲のうちに偉大な力と栄光とともにおいでになる時、「地のすべての部族は胸をたたいて悲しみ…」ということばです。キリストを信じる者にとって、キリストの再臨は待ち焦がれている時。パウロがコリント人への手紙第一 16章22節に書いた「主を愛さない者はみな、のろわれよ。主よ、来てください」のことばを思い浮かべます。
 
 キリスト者は誰もが、主イエスの再臨を待ち望んでいます。それは、信仰者の希望だからです。けれども、主イエスが再びおいでになるのを地のすべての部族は胸をたたいて悲しむのです。それはなぜでしょう。神がお定めになった恵みの時代が過ぎ去ったことであり、王としておいでになったイエスをこの人々は愛していなかったということが言えます。
 
 けれども、主イエスがおいでになるのがいつなのかは、父なる神のみが知ることであり、確かにしるしは見られるのですが、確かなことは誰にもわかりません。
 
 だからこそ、「主よ、来てください」と祈りつつ、浮き足立つことなく今日の務めを果たす者でありたいと願います。
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