みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

礼拝から心楽しく帰る

2016年06月30日 | 歴代誌第二

歴代誌第二 7章

 ここ数日の当地は、さらっとしてさわやかな天候が続いています。陽射しも強いのですが、焼けるような…というものではありません。こんな6月最後の日。2016年の半分が終わろうとしています。どのような半年でしたか。

 7章には、ソロモンの祈りに応えて、天から火が降ってきて全焼のいけにえなどを焼き尽くし、主の栄光が宮に満ちたことが書かれています。そのため祭司は宮には入れず、人々は地面に顔をつけて「主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで」とひれ伏し拝み主をほめたたえました。神殿奉献式とそれに続く祭りは半月近く続いたのです。そして、終わると民は「心楽しく帰って」行きました。この「心楽しく帰って行った」ということばを心に留めました。

 主の栄光をおぼえて恐れひれ伏すという態度は、私たちの礼拝の姿勢に通じることだと思います。ソロモンや人々が体験したような、いけにえが天からの火で焼き尽くされるとか、主の栄光が宮に満というような目に見える現象は伴わないことですが、私たちが集まって神を礼拝することには、主の栄光の前に恐れひれ伏してほめたたえるという要素が確かにあります。けれども、このような体験が決して礼拝者を縮こまらせてしまうのではないということにも、教えられます。ソロモンは、莫大な数の牛と羊とをささげ、祭司たちは神をほめたたえ、民は礼拝し、ともに食べるという奉献と祭りの半月を過ごして、「心楽しく帰って行った」のです。

 神への恐れと喜び(楽しさ)が、礼拝をはじめとする教会の歩みにあるでしょうか。また、礼拝を終えて「心楽しく帰って行く」ことがどれだけあるだろうかと、数えたくなります。


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