みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

天からこれを聞き

2016年06月29日 | 歴代誌第二

歴代誌第二 6章24−42節

 借りている庭の芝刈りをしました。手で押して刈るものですので、なかなかコツがつかめないでいましたが、何回かやっているうちに虎刈り具合がそれほど目立たなくなってきました。写真は庭で撮ったものです。

 ソロモンの祈りが続きます。「みことばの光」が書くように、祈りのほとんどは罪に関するものです。「罪を犯さない人間は一人もいないのですから」ということばにうなずかざるを得ません。

 心に留まったのは、36−39節の祈りです。歴代誌を読む人たちはバビロン捕囚からエルサレムに戻り、これから町を、いや何よりも礼拝を再建しようという志を抱いています。バビロンの捕囚は70年ですから、一世代は確実に交替していることになります。すると、これを読み、聞いている人々は、捕囚された人々の子どもや孫たちということになるでしょうか。

 すでにソロモンの神殿はそこにはありません。しかし、人々は神殿が完成したときのソロモンの祈りを心にしっかりと刻んだのです。ソロモンの祈りは預言的でもあります。自分たちの親が遠くバビロンの地からエルサレムに向かって悔い改めの祈りを神にささげたこと、そして神は彼らの祈りに応えてくださったので、自分たちの今があることを涙とともに聞いたのではないのか、想像するのです。そしてこれは、どれほどエルサレムを再建する、神殿を再建するという彼らの思いを力づけたことでしょう。

 私たちはどこででも祈ることができます。しかし、いっしょに集まって祈る幸いをこの箇所から教えられます。自分たちが今あるのは、侵攻の先輩たちの罪の悔い改めに神が答えてくださったからかもしれないと考えますと、今自分が何を祈るかがとても大切だということに気づきます。


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