使徒の働き 8章14—25節
主によってサマリヤの町に散らされたピリポは、キリストを宣べ伝え、汚れた霊を追い出し、病を癒しました。それを興味深く見ていたのがここで魔術を行って周りの人を驚かせていたシモンという人物。
彼は、ピリポのことばやふるまいにすっかり魅入られてしまいました。そして、ほかの人々とともにバプテスマを受けて、いつもシモンについて歩いていました。ここまで読むと、熱心なキリストの弟子がここにも誕生したという印象を抱きますが、きょうの箇所を読むと、彼の魂胆のようなものが露わにされてしまいます。彼は、ピリポのように自分もできれば周りをもっともっと驚かせることができると考えたのでしょうか。もしかしたら、金儲けをしようとさえしていたのかもしれません。18節の「金を持って来て」ということばが気になります。
聖霊を使徒たちから人々が受けたのを見たシモンは、金で買おうとしました。
これを、使徒ペテロがどのように見ているのかが20—23節に書いてあります。金で神の賜物を買うなどということはできないし、それは神の前に正しい態度ではなくて、悪事である。だから、その罪を悔い改めよ…。これが、ペテロが伝えたことです。
金があれば何でもできる、買えるというようにクリスチャンは考えませんが、たとえば、あまりにも物事の進展が遅いので、手っ取り早い手段で課題が解決できたらどんなにいいだろうというように思うことはあるかもしれません。私たちが神との豊かな交わりの中にとどまるのは、大金を出して神からの特別待遇を受けて…ということではありません。祈り、みことばに聴いて、神を思うという日々の繰り返しが大切であるのを、シモンの「金を持って来て」という行動を反面教師として、学ぶことができます。