使徒の働き 9章19節後半—30節
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きのうは、スイスの美しい自然を目にすることができました。雨模様でしたが、束の間の晴れ間にちょうど展望の良い場所にいることができました。いつもは近くを見ている目が遠く見ることで、心が穏やかになるのがわかります。そのような景色を堪能した後、「ハイジの祈り」というテーマで聖書を開くことができました。
主イエスに会ったサウロは、すぐにダマスコの諸会堂でイエスが神の子だと宣べ伝えました。しかし、主の教会に迎えられるためには多くの年月が経っていることを、この箇所は伝えています。いっしょになってイエスの弟子たちを迫害してきた「仲間たち」は、すぐにサウロに敵対する者となりました。だからといって、サウロがすぐに使徒たちを初めとする主の弟子たちの仲間として加えられたかというと、そうではありませんでした。ダマスコでいのちを狙われ、エルサレムに行ったパウロは、イエスの弟子たちに信じてもらえなかったのです。これまでのサウロの行状を見ていれば、だれもが恐れることでしょう。あるいは、この時のパウロにはある種の孤独感があったのかもしれません。
そのような時に、バルナバはサウロを引き受けます。バルナバはサウロが体験したことを使徒たちに説明しました。その結果、サウルは主の弟子の一人としてイエスの御名を大胆に宣べ伝えるのです。
バルナバの行動に注目しました。彼が受け入れたことがサウロの将来に大きな意味を持つようになります。このバルナバは、故郷に退いたパウロを再び迎えに行くことになります。⇒11章25節参照
アナニヤに続き、主イエスはパウロのためにバルナバというご自分の器を用意しておられたのです。バルナバとサウロ(パウロ)のやりとりに注意しながら、読み続けます。