歴代誌第一 24章
何度も同じことばを辞書で引いてもすぐに忘れてしまう情けなさですが、それでもゆっくりゆっくり語彙の数は増えていき、この頃は商業車にペイントされている文字の意味を、ああではないかこうではないかと推量する楽しみが加わりました。カーラジオでニュースを聞いていると、時々覚えていることばが登場。すると、学んでいることばに親しみが湧いてくるのが不思議ですね。
この章には、ダビデが建てられようとしている神殿での祭司の務めについて、組み分けをしてくじで順番を定めたことが書かれています。祭司はくじによって24の組に編成されました。エズラ記2章36−39節には、バビロン捕囚から帰還した人々の中に祭司が4組しか記されていないので、ダビデの時代に組織された祭司の組はその後4つの組にまで減ったということが考えられます。
「みことばの光」には、第8組のアビヤの組に属する祭司がバプテスマのヨハネの父ザカリヤだということが記されています。ルカの福音書1章5−9節で確認しますと、アビヤの組の者が神殿の務めをすることになり、さらに組の者がくじを引いて香を焚くようにという仕組みだったことがわかります。この時ザカリヤは一生のうちの一度ぐらいしか巡ってこない香を焚くという務めを行うこととなったのです。その時に、ザカリヤは救い主の先駆けとして神がお遣わしになるヨハネが高齢のエリサベツから生まれることを知らされるのです。
くじを引くというと、何かいい加減だという印象がしますが、これはすべての決定をなさる神に信頼しての行為なのです。「くじは、ひざに投げられるが、そのすべての決定は、主から来る」との箴言16章33節のことばを覚えます。何でもわかるようになり、人間がすべてを決められるかのような高ぶりに陥りやすいことに気づかせてくれるのではないでしょうか。
6月もみことばのともしびに照らされて歩む日々でありますように。