みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

願いが聞かれて

2015年12月18日 | ルカの福音書

ルカの福音書 1章1−25節

 「みことばの光」は4月から「ルカの福音書」を読み進めてきました。そして先月で24章まで読み終えたのですが、まだ1、2章を読んでいませんでした。今回の通読サイクルでは、クリスマスの時期にルカの福音書の降誕の出来事を読もうと計画を立てました。ご了解ください。

 著者ルカはこの福音書のほかに、「使徒の働き」も記しました。ルカは「〜の時に」(5節)、「…住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから…」(2章1節)、「クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録…」(同2節)と書いています。これによって、出来事がいつ頃起こったのかを特定しやすくなります。神がお立てになったご計画は、この世界のどこかである時に実行に移されるのだということを思い巡らすことができます。

 この箇所は、主イエスがおいでになるための先駆けとして働く、バプテスマのヨハネがどのようにして生まれるのかが記されています。ヨハネの父ザカリヤは祭司。妻のエリサベツは不妊の女性。そのエリサベツが男の子を産むという信じがたいようなことが神の使いによって告げられるのです。

 「あなたの願いが聞かれたのです」とのことばに目が留まりました。さて、ザカリヤは何を願っていたのでしょうか。私的には子どもを与えてくださいとの願いを神にしたのは大いにありうることです。しかし、この歳になってザカリヤは、もはやそのような祈りを主にささげることはなかったのではないでしょうか。祭司として公的には、イスラエルが神によって贖われるようにと祈ったということでしょう。しかし、どちらにしても、ザカリヤは「あなたの願いが聞かれたのです」とのことばを聞いても、恐れ戸惑い、信じることはできません。

 祈っていたことが実際にそのとおりになるのを目の当たりにしたときに、「待ってました!」と受け止めたいのに、ザカリヤのように恐れ戸惑うなどということがあるでしょうか。ザカリヤの姿に自分が重なって見えます。


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