みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

神がくどく

2015年12月05日 | ホセア書

ホセア書 2章

 葬儀に参列するので、三泊四日(内二泊は機中)で帰国中です。

 久しぶりの日本は関東地方に限ってかもしれませんが暖かいです。それに、晴れています。恩師が召天(キリスト者が亡くなること)なさったとの知らせを受けてまず思ったのは、「私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました」とのパウロのことば(Ⅱテモテ4章7節)。いろいろな出来事が次々に思い浮かんできます。

 ホセア書2章では、前章のホセア自身の結婚の意義が明らかになります。ここでの姦淫の妻とはイスラエル、夫とは神を指します。夫である神の愛がわからずに、他の男たちの所に走り寄ってしまう妻が姦淫をしないように、夫はいばらで垣根を、また石垣を立てようというのです。

 ここに夫の愛を見ることができるでしょうか。それとも、妻がやりたいことをしているのだから、むしろ優しく見守ってあげるべきだと考えますか。いいや、結婚において夫と妻の関係は、間に誰の介在も許さないものです。ですから、妻が夫ではない相手に心を寄せているのをじゃましようとする夫が寛容でないなどという考えは、間違っています。

 心に留めたのは、「わたしは彼女をくどいて荒野に連れて行き、優しく彼女に語ろう」ということば。神がご自分の民をくどかれるというのは、「戻っておいで」と優しく話すこと。ここに罪人あきらめようとしない神のお姿を認めることができますね。


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