ホセア書 11章
きのうは日本語教会のクリスマス祝会がもたれました。大勢の方とともにイエスさまのご降誕を祝いました。参加していたお子さんの一人が「さっき来たニコラウス(サンタクロース)はどこに行ったの?」と探していたそうです。
11章を読みながら「親の心子知らず」ということばを口ずさんでいました。親が赤ちゃんを育てるように、イスラエルを育ててこられた主の「親心」がいろいろなことばを通して伝わってきます。
いわゆる自立期の子どもは、親がどんなに苦労して育てたのかを知るよしもなく、自分一人で育ってきたような態度をとることがあります。子どもはやがて親の手を離れていくのです。
それではイスラエルの自立とはどのようなことなのかを考えてみますと、彼らが主なる神を捨てて他の神々のもとに行ってしまうことではありません。あるいは、神になんて頼らない自分だけでやっていくということでもありません。神の民の自立とは、実は神への絶対的な信頼なのだと思います。
他の人や物に頼らずに、ひたすらに神に頼ることこそ、人間のあるべき自立の姿ではないだろうか、と考えます。
わたしのところに戻ってくるようにと、あわれみで胸が熱くなるほど待っておられる主なる神の姿から、わが子の帰りを今か今かと待つ放蕩息子の父親を思いました。