ルカの福音書 2章22−38節
きょうはあちこちの教会でクリスマスの礼拝、燭火礼拝などが行われる日ですね。当地では、きょうの午後には町中のお店が閉まり27日まで続くのだそうです。ですから三日半、スーパーもデパートも一般のお店もお休みです(ガソリンスタンドは開いています)。ですから、きのう午後出かけたスーパーには多くの人が出ていました。なんとなく、以前の日本の正月を迎える前の大晦日の気分です。私たち…ですか? 「買い置きはしてありますか」と問われて、ヨーグルトを買い溜め(と言っても500グラムを3つですが)しました。ほかにも少しずつ…。
レビ記によれば、男の子が生まれたあと、女性は七日間汚れていて、さらに33日間はあらゆる聖なるものから遠ざかっていなければなりませんでした。そのあとで、小羊一頭と山鳩か家鳩1羽をささげなければならなかったのです。あまりにも貧しくて小羊をささげられないならば、もう1羽の山鳩か家鳩を代わりにささげることでよいことになっていました。⇒レビ記12章1−13節でご確認ください。ですから、ここでマリヤがささげた物は、貧しい者のささげ物だったということがわかります。
両親と幼子イエスが宮に入って来たとき、シメオンとアンナという老人が迎え、祝福します。ちなみに、「老人」というのは私にとっては蔑称ではなくて、自分もそう呼ばれたいと願っているゆえに用いていることばです。シメオンは主のキリストを見るまでは決して死なないと聖霊のお告げを受け、アンナは宮を離れずに夜も昼も、断食と祈りを持って神に仕えていました。その二人が幼子を迎えたのです。
私はこの二人にさいわいな老人を見ています。神の約束を信じ続けてその実現を待ち望んで生きている姿、年を重ねてなお主に仕えている姿です。神との豊かな交わりを何よりも大切にし、神が何をなさり、自分がどのことのために用いられるのかを、何歳になっても期待して歩んでいるのです。過去を振り返って懐かしむ姿は二人にはありません。前のものに向かい続ける人生のさいわいを教えられます。