みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

神を思う心

2015年12月09日 | ホセア書

ホセア書 6章

 朝のうちは晴れ渡っていた空が、昼頃には霧に覆われました。冷たい霧です。久しぶりに公園を走り身体を動かしたら、ホカホカとしてきました。一番の寒さ対策なのかもしれません。

 「主に立ち返ろう…御前に生きるのだ…主を知ることを切に追い求めよう…」との彼らのことばを、主は朝靄のような誠実だとお答えになりました。「みことばの光」は、うわべだけの悔い改めだと書いています。そしてその姿勢には罪の告白が欠落しているとも指摘します。

 神に対して熱心だという自分たちの姿が大切で、神を思う心が彼らの「信仰告白」にはみられないように、思えます。主は、「わたしは誠実を喜ぶが、いけにえは喜ばない。全焼のいけにえより、むしろ神を知ることを喜ぶ」とも続けておられます。

 「誠実」と訳されているのは、「愛」とも訳すことのできることばです。愛とは、相手を思う心、思い遣る心ではないでしょうか。そのように見ますと、彼らの熱心な姿勢は伝わってくるのですが、神が何を思い、何を望んでおられるのかがどこかに追いやられてしまったように感じられるのです。

 信仰の歩みの中で、自分が良かったとか喜んだとかいうような結果を期待すると、自分の意のままに神が働いてくれないと困るというような思いが出てきます。信仰生活の落とし穴だと言えます。神が何を望み、願っているのかを常に思う心を忘れてはならない、のです。


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