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土曜の悲劇

2011年12月12日 23時10分42秒 | 文学
一週間に一度くらいは何かを書いておくべきだと思う。
土曜日にテニスに行ったときにコンタクトレンズを落とした。右目を触ったらコンタクトレンズが外れた。ちょうどレッスンが終わってコーチの話を聞いていたときだったのだが、僕は目の中にまだコンタクトレンズがあるかどうかを探ってぜんぜん聞いていなかった。落としたと思ってもまぶたの中にあったことがこれまでもあったので目をつむって目玉を上にしたり横にしたり下にしたりしてかなり探ったのだが何の感触もないので、やはり落としたのだろう。
コーチの話が終わり、みんなが帰っていく中を靴ひもを結びなおすふりをしながらまわりを探してみると、落ちているコンタクトレンズがあった。
コンタクトレンズがなくなることよりも、コートに落としたコンタクトレンズを探しているのを見とがめられて、「どうしたの?」「コンタクトレンズを落としたのです」「どこにですか?」「このへんです」「おーい、みんな、ちょっと一緒に探しておくれ」「いえ、いいんです、いいんです」みたいなことにならないでほっとする。
滅多に落とすことはないのだが、冬は空気が乾燥しているのだと思う。
いまエラリー・クイーンの『Xの悲劇』を読んでいるのだが、完璧なトリックだと思ったら殺したときに被害者のコンタクトレンズが落ちてアリバイが崩れるという話ってありそうだなと思った。「コナンくん」でありそう。
『Xの悲劇』は昔読んだことはあるのだが、話はほとんど覚えていない。
ドルリー・レーンは最初の殺人事件の段階で犯人がなんとなくわかったと言っていたが、第二の殺人事件が起きてしまった。もったいぶっているからだと思う。海に落っこちて顔が潰れて誰だか判断できなくなってしまっている死体ってこの小説だったのだな。「誰だか判断できない」というところが重要だったということは覚えているのだが、どういうふうに重要だったかはまったく思い出せない。

エラリー・クイーンは『Yの悲劇』までは読んだことはあるのだけれど、そのあとは読んでいないのでできれば残りも全部読んでおきたい。
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