ダブログ宣言!

ひとりでするのがブログなら、
ふたりでするのがダブログ。

小島政二郎『小説 永井荷風』

2014年04月26日 01時40分03秒 | 文学
小島政二郎『小説 永井荷風』(ちくま文庫)を読んだ。
もともとこの本に興味を持ったのは、丸谷才一の『星のあひびき』で取り上げられているのを読んで存在を知っていたことと、加藤典洋が解説を書いていることだった。
永井荷風は実はずっと興味はあるのだが、きちんと読んでいない。
江藤淳の『荷風散策』と半藤一利の『荷風さんの戦後』は読んだし、わりと信用できるひとたちが永井荷風のことが好きなのでおそらくおもしろいのだろうけれど、読んでいない。

この本はどういう本なのだろうか。
江藤淳に『昭和の文人』という本があって、堀辰雄が養父(確か)に対してお金持ちのお坊ちゃん的なあまちゃんであったことを江藤淳が糾弾するとてもおもしろい本なのだが、それを思い出した。
確かに、小島政二郎の言うように、永井荷風は日記に自分に都合のいい嘘を書いていたり、母親が死にそうなときにも弟にめんどうを任せて自分は女のところに行っていたりするのだが、あんまり糾弾しているのを見ていると、「そんなにしなくても」という気持ちになる。(確かに永井荷風はそばに近づきたくないタイプの人だとは思うが。)
自分に都合のいい脚色をすることって本当にないのですか、とそんな気持ちになる。
文学者には理想像を重ねがちなのだが、実はそんなことはないということは、近い人間の証言を聞くとよく思う。おそらくいま、世間の文学者的理想像を一身に背負っていると思われる村上春樹は、死後、とんでもないことになるのではないかと思う。手紙、メール、ゴシップがたくさん出てくると思う。
そういうものにどう対処すべきか、無視するか、見ないふりしてこっそり見るか、手のひらを返して「私は元からああいうひとは嫌いでした」という態度になるか、文学者は作品のみで評価されるべきと言うか、いろいろあるが、それはそのときどきの態度でいいのではないかと思う。
こう来たらこう打つ、と決めているのは、おもしろくないと最近思う。
コメント    この記事についてブログを書く
« シャーロット・ブロンテ『ジ... | トップ | ディケンズ『デイヴィッド・... »

コメントを投稿

文学」カテゴリの最新記事