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平野啓一郎『マチネの終わりに』

2022年01月08日 00時16分08秒 | 文学
平野啓一郎『マチネの終わりに』(文春文庫)を読んだ。
『ある男』がたいへんおもしろかったので続けて読んでみた。『マチネの終わりに』を先に読んでいたら、『ある男』は読まなかったかもしれない。
平野啓一郎の小説は安心して読んでいられる。変な言葉の間違いなんかもないし、よく考えられていることがわかる。作者をせせら笑うようなこともしないで済む。
その上で、『マチネの終わりに』は『ある男』よりはおもしろくなかった。三谷早苗の扱い方が気になる。こんな人いるかなあ、っていうのと、都合が良すぎないかなあ、という感想がどうしても残る。蒔野と洋子の関係を引き裂き、そして罪を告白して二人の関係を修復する、そういう都合のいい登場人物に思えて、釈然としないところがある。もっと自然な感じでできなかったかなあ。作り物っぽくなってしまっているように思う。最初の出だしで、作者平野啓一郎の実在の知人に起きた出来事のように書き始められているので、もうちょっと嘘臭くなくしていただきたかった。

平野啓一郎がいつか、テレビで話すのを見たのだったか書いているものを読んだのだったか忘れてしまったが、ソナタ形式について語っているときがあって、ソナタというのは最初に出てきたものがどんどん変わっていくのだというような説明をされていて納得した記憶があるのだが、『マチネの終わりに』では記憶が新たに付け加わることによって、最初の記憶が変わっていく、というようなことがモチーフとしてあるのだと思う。

『マチネの終わりに』もおもしろければ、平野啓一郎の作品を遡って読んでいこうかと思っていたが、そこまでではなかったので、『ある男』以降の作品を文庫になるたびに読んでいこうと思う。
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