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宮沢賢治『春と修羅』

2019年02月26日 21時23分13秒 | 文学
『宮沢賢治コレクション 6 春と修羅 詩I』(筑摩書房)を図書館で借りて、『春と修羅』をだいたい読んだ。
詩に興味を持つことはあまりなく、読もうと思うこともほとんどないのだけれど、たまに何かのきっかけで読むことになる。そしてそういうときに興味を持つのは宮沢賢治の詩であることが多い。中原中也でも高村光太郎でもない。
そしてまったく意味が分からない。
もっと分かりやすい詩人もいるのだろうけれど、巡り合わせで宮沢賢治を読むことになり、『春と修羅』を読んでいつも「詩ってわからんな」と思い、他の詩人には手が出ない。
宮沢賢治の詩はどのくらいの人が理解できるのだろうか。想像では九割の人は全く理解できないんじゃないかと思う。それは、妹が死んで悲しいみたいな詩も二三あるのでそれは分かるようにも思うが、その他の多くは森とリンゴと電信柱で意味が分からない。しかも注もほとんどついていない。もっと宮沢賢治の詩には注が必要なのではないだろうか。
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