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吉本隆明の『擬制の終焉』に惹かれる

2017年04月04日 23時58分23秒 | 文学
加藤典洋の『言葉の振る日』(岩波書店)に、吉本隆明について次のように書かれていて、とっても大事だと思うので書き写しておく。

《私が吉本さんにほんとうの意味でぶつかったのは、カナダのモントリオールでです。図書館員として、自分で作った日本関係蔵書コレクションの一冊として、『擬制の終焉』『自立の思想的拠点』という安保闘争前後に書かれた文章を集めた本を手に取り、読んで、ほんとうの思想家というのは、けっして時代を鳥瞰しないし俯瞰しない、その逆にいま自分がぶつかっているささいな、面倒な問題をもとに、くだらない論争などを通じて大きな仕事をしていくのだ、ということを知りました。一九七九年のこと。》(30頁)

本を読んだこともあり、菅野完のツイッターを見ることがあるが、くだらない論争を(くだらない連中と)しているなと思うことがある。
しかしもしもいま若い吉本隆明が生きていてツイッターをしていたら、このように、内田樹のようでも加藤典洋のようでもなく、菅野完のようにツイッターで論争しているのかもしれないと思った。いや間違いなくしていると思う。

吉本隆明の『擬制の終焉』というのはタイトルはよく聞くが読んだことがない。文庫になっていないからだ。
たぶん、六十年代の時代に生きていたか、詳しいひとでないと、出てくる言葉が理解できないことが多いのだろう。浅間山荘の登場人物とか、知らないし、その時代の政治家の名前もよくわからないし。
しかし読んでみたくなった。
岩波現代文庫あたりにはこの時代の吉本隆明の世の中の情況についての文章をまとめたものを注釈を付けて発売する義務があると思う。
「ブント」とか「内ゲバ」とか「進歩的知識人」とか「逆立」とかいま読むとよくわからない言葉には注釈をつけて発売してくれたら僕は買うな。そろそろ六十年代七十年代を古典として楽しむ時期が来てもいいと思う。
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カミュ『異邦人』

2017年04月04日 20時39分39秒 | 文学
カミュ『異邦人』(新潮文庫)を読んだ。
久しぶりに読んだが、ぜんぜんおもしろくなかった。何を言っているのかよくわからなかった。
たぶん、時期が悪い。
前に読んだときはムルソ—の言っていることはすべてわかるような気がしたものだが、今回はまるでわからない。
思うにこのような気持ちに今なれないのだ。

たぶんカミュが描く、主人公のまわりで起きる出来事はすべて何かの比喩としてとらえることが出来ることだと思うが、僕はいま自分のまわりの出来事を何かの比喩としてとらえられるような状況にいない。もっとなんだか具体的に生きている。この小説がおもしろかった時期はもっとまわりの出来事を何かの比喩としてとらえていたような気がする。
小林秀雄と大岡昇平の対談で、この小説についてあまりおもしろくないという話をしていたものがあって、読んだとき「そんなはずはない」と思ったものだが、いまならその通りと思うかもしれない。
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