パオロ・マッツァリーノ『エラい人にはウソがある 論語好きの孔子知らず』(さくら舎)を図書館で借りて読んだ。
『論語』にはあまり感心した記憶がないので、この本はとても楽しく読めた。
孔子を立派な人物ではなかったのではないかという観点から書かれてある。タレントの出川哲朗のようなキャラクターの人物だったのではないかというふうに書かれている。その他にも「アメトーーク!」をよく見ているんだろうなと思うところが多かった。
孔子は実は立派な人物ではなくて弱虫なのに、後の時代の人間が立派な人物に仕立て上げてしまったという話は、遠藤周作の描くイエス像によく似ている。たぶん、そのようなこと(後付けで立派な人物になってしまうこと)はあるだろうなとは思う。しかしこのようなものの見方は小林秀雄的ではないなと思う。小林秀雄的でなければならないということはないが、小林秀雄には気に入らない考え方だろうなと思う。どちらが得るものが大きいかと考えたときに、小林秀雄的なほうが得るものが大きいのではないかと思う。
この本を読んでも『論語』を読もうという気にはならなかった。いつか、小林秀雄の『考えるヒント』か何かを読んで『論語』を読んだことがある。
おもしろいとは思ったが、ところどころで「ちょっと言い過ぎだな」と思うことはあった。
何かを言った後に、さらに何かを言って重ねる感じが、頭の良すぎる人か、あるいは口の達者な子供のような感じで(どちらも私は好きではないのだが)、もう周りのひとはちょっともういいよ、言い過ぎじゃない? と感じるようなそんな雰囲気があった。それは個人の感覚なのでもちろんそんな風には思わない人もいるだろうが、私はそのように感じるところが少なくとも2カ所はあった。
『論語』にはあまり感心した記憶がないので、この本はとても楽しく読めた。
孔子を立派な人物ではなかったのではないかという観点から書かれてある。タレントの出川哲朗のようなキャラクターの人物だったのではないかというふうに書かれている。その他にも「アメトーーク!」をよく見ているんだろうなと思うところが多かった。
孔子は実は立派な人物ではなくて弱虫なのに、後の時代の人間が立派な人物に仕立て上げてしまったという話は、遠藤周作の描くイエス像によく似ている。たぶん、そのようなこと(後付けで立派な人物になってしまうこと)はあるだろうなとは思う。しかしこのようなものの見方は小林秀雄的ではないなと思う。小林秀雄的でなければならないということはないが、小林秀雄には気に入らない考え方だろうなと思う。どちらが得るものが大きいかと考えたときに、小林秀雄的なほうが得るものが大きいのではないかと思う。
この本を読んでも『論語』を読もうという気にはならなかった。いつか、小林秀雄の『考えるヒント』か何かを読んで『論語』を読んだことがある。
おもしろいとは思ったが、ところどころで「ちょっと言い過ぎだな」と思うことはあった。
何かを言った後に、さらに何かを言って重ねる感じが、頭の良すぎる人か、あるいは口の達者な子供のような感じで(どちらも私は好きではないのだが)、もう周りのひとはちょっともういいよ、言い過ぎじゃない? と感じるようなそんな雰囲気があった。それは個人の感覚なのでもちろんそんな風には思わない人もいるだろうが、私はそのように感じるところが少なくとも2カ所はあった。