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なかなか学生と読まない『三四郎』

2015年05月30日 23時46分21秒 | 文学
夏目漱石の『三四郎』を読んだので、図書館で借りていた石原千秋の『学生と読む『三四郎』』(新潮選書)を読んでいたのだが、『三四郎』をなかなか学生と読み始めない。
成城大学の話が延々と続く。
僕は、成城大学にも、最近の大学事情にも、首都圏の交通事情にも、あまり興味ないんだよね、と思いながら読み、途中から飛ばしとばしで読み、七十頁あたりまで読んだが、ぜんぜんおもしろくならないのでもう読まずに図書館に返すことにする。
ここまで読んで興味を感じられない本は、おそらく最後まで興味を感じられない本だと思う。
この人の本は『『こころ』大人になれなかった先生』もこの前読もうとして読めなかった。(これも図書館で借りた。)
たとえ興味のない内容でも、文章を読んで「なんか凄そう」と思うことはあるのだけれど、そのようなこともなかった。
残念。

やはり夏目漱石について読みたければ、江藤淳とかを読んだほうがいいのだろうな。
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夏目漱石『三四郎』

2015年05月30日 22時51分00秒 | 文学
夏目漱石『三四郎』(新潮文庫)を読んだ。
やはりどうしても、そこまで熱中して読むというほどにはこの小説に入り込めなかった。でもこれまで読んだ経験のなかではいちばんおもしろかった。
三四郎が美禰子に惹かれている感じがよくわかった。でもとても好きであるみたいなことをはっきりとは書いていない。このへんがこの小説の楽しみ方の一つなのだろう。
最後のほうで広田先生の夢の話があり、明治憲法の発布(明治二十二年)によって母親が死んだ(=自分のなかで何かが死んだ)、というふうに取れる。この小説は普通に読むと恋愛小説なのだが、こんな話を混ぜ込んでいるところが漱石に惹かれるところだ。
美禰子は迷子(迷羊)で、誰も(野々宮も三四郎も)引き取りに来てくれなかったから、別の男のところにお嫁に行ってしまった、そういう話なのだろうか。そのへんがよくわからない。
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